とある公園を歩いていた。
その公園には、滑り台、ブランコ、シーソー、うんてい、てつぼうなどの、一般的な公園にありそうな遊具があった。
そのさびれた公園では誰一人として遊んでいなかった。
人よりも遊具の数のほうが多かったくらいだ。
でも、さびれて誰も遊んでいない公園は、さみしさがあって、はかなさがあって、ちょっと魅力的だった。
ふと思った。
一人で公園に来たとして、滑り台、ブランコ、てつぼう、ジャングルジムは、なんとか一人で遊べる。
シーソーはどうしたらいいのだ。
シーソーは、一人では遊べないのだ。
「端から端まで地面に落ちないように渡りきる」という遊び方はできるけれど、それは本来のシーソーの楽しみ方ではない。
シーソーゲームとはよく言ったものだ。
知らんけど。
たぶん、最大4人まで遊べる。
でも基本は2人だ。
今思えば、シーソーで遊んでいる時は、相手の友だちと何かしらの話をしていたはずだ。
ボクは何も話をしないでシーソーなんて、できっこない。
そうだ、会話をしながら、浮いたり落ちたりしていた。
会話もないまま、無言でただシーソーをしている2人って、どうなんだろう。
それは、シュール過ぎて、笑える。
それはそれで、さみしく、はかなく、ちょっと魅力的なんだろうか。
公園は、時間帯によって利用する年齢層が違っている。
朝は老人。昼はサラリーマン。夕方までは子供と母。
夜は若者。
いくらさびれても、公園は人々の憩いの場なのであった。
今度、おかしい人がいる、と思われてもかまわないから、一人でシーソーを楽しんでみよう。
何かを発見できるかもしれない☆
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