「早いもので、もう3月です」
ってなことを言うの、今回はもうやめよう。ボクが小学4年生でも、アラフォーでも同じ時間の流れ方なのだよ。時間の流れが早い、もっと遅かった、等々、言いたいのはわかる。今、ボクも言ってる。でも、完全に同じだ。
時間の流れ方ほど平等なものはない。
でもびっくり。もう3月だ。
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なぜ子どもの時ほどゆっくりではないのか。夏休みやクリスマスやお正月が楽しみだった。楽しみ過ぎた。あといくつ寝ると、だ。楽しみ過ぎることが先にあると、時間が経つのが待ち遠しくて、遅く感じるのかどうか。
じゃあこれから先に楽しみ過ぎることがあればいいんだな。楽しみ過ぎることがあれば、まだ2ヶ月しか経ってないのか、早くこいこいあとひと月、って感じるんだな。
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- 半年後にブルース・スプリングスティーンのライブにいく
- 3ヶ月後にインドにバックパックのひとり旅にでる
- 来月アラスカのザトウクジラをみにいく
- 夏にはスコッチを飲むためにスコットランド、アイルランドに旅にでる
- 秋のニューヨークにカメラだけ持っていって、写真を撮りまくる
うぅ、楽しみ過ぎる…!



確かに楽しみ過ぎるけど。
でも、子どもの時の、夏休みとか、クリスマスみたいな、“特別な楽しみ過ぎる感じ”ではないのはなぜ。もしニューヨークにいけなかったとしても、残念ではあるけれど、泣くほど悲しくはない。もし、小学生のころ、夏休みがなくなったら悲し過ぎて泣き叫ぶはずだ。
楽しみ過ぎる感受性が、違い過ぎる。
だから大人は時間が経つのが早いのかな。
ボクにとって、なくなったら泣いてしまうほど、楽しみ過ぎることって?
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子どもの夏休みに勝てる楽しみなど、この世界には存在しないのがわかった。
つまり、大人の時間が経つのは、これからも早い。なんなら年々さらに早くなっていくことがわかった。
ちょっとした楽しみのほうが、しっくりくるな。それくらいが、ちょうどいい。
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