となりではたいへんやった。阪神淡路大震災から30年

今日はこのことを書かねばなるまい。

阪神淡路大震災から30年。そうか30年。このあいだに、いくつも地震があったな。

いくつもの地震があったし、いろんなことがあったな。だって30年。
30年あれば、生まれたばかりの赤ちゃんも、れっきとした人生の悩みを持つことになる。鼻水のたれてた小学生も、おっさんおばさんになる。

ボクも、あなたも、いろんなことがあった。

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ボクは大阪の中でも京都よりのところに住んでいたので、被害は少なかった。それまでの知ってる地震の中では、一番ゆれて怖かったのは覚えてる。
掛けてあった時計が下に落ちた。それだけ。被害があったのはこれくらい。被害とは言えないレベル。何もなかったとも言える。だから当日も普通に学校に行くことになる。

それでも、この地震はボクに大きな影響を残した。

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地震が起きたのが1995/1/17。 ボクは高校2年生だ。3年に上がる春休みに、一人旅に出かける。

注釈:一人旅といっても、友達3人でよーいどんで大阪を別々に出発。それぞれ一人旅をして1週間後に山口県下関で待ち合わせる、というやつ。

西に行くので、とうぜん行きも帰りも神戸を通ることになる。

神戸の街は、めちゃくちゃだった。
建物はくずれ、道路も粉砕されていた。
電車の窓から見る神戸の街は、本物ではないみたいだった。

戦争でも起きたみたいだった。あるいはゴジラが暴れたか。もしくは…。
そこにはリアルさがなかった。でもとんでもなくリアルなことだった。

とにかく2ヶ月たっても、まだ神戸の街はめちゃくちゃだった。ボクらは普通に生活しているけれど、となりの神戸は、めちゃくちゃになっていた。それに心をゆさぶられた。

それからボクは高校を卒業して、大学に進学し、社会人になる。
大学では神戸の友人もできたし、神戸の仕事仲間もいた。そのつど、地震の被害の話になる。家がたいへんな人もいた。亡くなられた友人を持つ人もいた。そのことにも、もちろん心をゆさぶられた。

となりではたいへんやった、というこの感覚。

オレは普通やったけど、となりではやっぱりたいへんやったんや。
考えるたび、電車の窓から見た、めちゃくちゃな神戸の街を思い出すのだった。

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今思い出したけれど、そういえばオトン(父)は、水やら食料やらを原付で神戸まで持って行ってたな。知り合いもおらんのに、どこに誰に持っていたんやろ。今度聞いてみようかな。

30年。そうか、30年か〜。

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