大そうじをしたら、
いらないものが山ほどでてきた。
それほどいらないものに囲まれているのか、
と思ってしまう。というか、実際にそうなのだ。
「モノ」は、いらないかもしれない。
「イメージ」とか、「体験」で十分なのかも。
夏にはこんな海にいったなぁ、とか、
あれは楽しい出来事だった、とか、
そういった種類の「思い出」のようなもののほうが、
ココロが豊かになる。
今でもあの海はキレイなんだろうとか、
あの時のウミガメは、
今も優雅におよいでいるんだろう、とか、
体験したイメージがあるだけで、
われわれは街でやってゆける。
それにしても、捨てる予定の大量のゴミは、
もともと、なんでここにあるんでしょう?
そこにはイメージも体験もないので、
まったくワクワクしようがないのでした。
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